1990年 フリーランスのアーキテクトレンダラー、、いわゆるパース屋さんになる。当時はCGなんてまだまだ、手描きの時代です。

絵を描く対象は紙の上にとどまらず壁にも描いたりしてました、、いわゆる壁画ってやつ。それもパースを使った”だまし絵”です。

1991年の横須賀のダイエーから始まり横浜生麦キリンビール、長崎ハウステンボス、池袋ナンジャタウンなどなど、、

 

時はバブル、パース屋さんになると同時に某サッシメーカーで2DCG制作、某住宅系設計事務所でパース描き、

町田ひろ子インテリアコーディネーターアカデミーのパース講師、自分の仕事を入れて4足のワラジ、、あのころが懐かしい。

東海大学とバンタンデザイン研究所の講師も結構な年数していました。

パースのほか、CGその他の講義も持っていたので、”描ける”とか”できる”人材をたくさん育てたと思っていますが、

相手(卒業生)はそんなことすぐ忘れてしまうのも事実です。

 

スマートフォンブームのかなり前、iphone3GSのころ、長年感じてた”あったらいいな”をiPhoneアプリで完成しました。

それが、、MOKU-Pedia-Petit

基本的に裏方作業の3DCG,パース、イラスト、ボード作製担当なのでアプリ作成は例外ですが、もうちょっと作ってみたい気もします。

 

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